#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

文フリに行ってきた

バイト先の朝風呂から帰ってきて思考停止でパスタを掻き込んだ。今日は悪くない目覚めから朝風呂の時間に滑り込めた。既に延滞している本をバイト先とコラボしているらしい喫茶店で読む。それだけの何でもない休日のはずだった。パスタを食べながらTwitterを眺めていると文学フリマの日程が今日だと気づいた。このご時世でもやってるのか。環八と呼ばれる家の近くの幹線道路を海の方まで真っ直ぐ下るだけか。

1時間後には会場の自動ドアを開けていた。即売会は久しぶりだ。大学1年のときに冬コミに行った以来だと思う。高校生の頃は大阪の即売会で友達と早朝から並んでいたな。コミケにしても漫画がメインの即売会にしか行ったことがなかったが、そういったゴリゴリのオタクイベント特有の得体のしれない熱気のようなものは感じられなくて、逆に今の自分にはこの気軽さがありがたかった。同人誌即売会は深くて広い。サークルの人間や頒布物だけでなく一般の参加者にもどことなく人間味を感じてしまう空間である。趣味や嗜好をありのままにぶつけられる空間。行かなければわからない、それもその場でなければ再現できない人の匂い。ヤンキーが闊歩している狭苦しい地元の祭よりも縁もゆかりも無い都市に現れるこの特異点こそが私にとっての祭だ。八百万の性癖を祀ろう。兎にも角にも誰にも可視化されていないアンダーグラウンドの6畳間にしかいない自分はこの地上の空間の温かさに安堵した。画面越しではない巨大な箱には生身の人間が確かにいる。そして過大な情報量。私は同人誌即売会に目的は要らないのを知っている。目当てのものは特になくても良い。Googleに管理されたオススメ表示では絶対にたどり着かない性癖を網膜に焼き付ける、それだけで値千金の価値があるのだ。そして間違いなく好みのものが存在することも知っている。幸い全てに目を通せる規模だ。評論、エッセイ、詩集、小説、二次創作物……。ゴスロリ、和装の出店者……。執筆している方も手に取る方も名前の無い存在であるからこそ純粋に内容に向き合えるというところはある。そして生身の人間が生み出すリアルがここにある。私達は日常で有形物を創り手から直接受け取ることにどれだけの機会が与えられているのだろうか。ほとんど全ての商品は幾重もの仲介を挟まなければ消費にたどり着かない。それ故に生産者の熱は消費者に届くまでに散逸している。即売会はダイレクトな熱交換にこそ真価がある。現在性のあるフェミニズムの本は買えたし、お悩み相談受け付けしているところでは誰か人に話したい事を話せたし、タイトルだけで買ったエッセイはすごく良くて本棚の目立つ所に並べようと思う。なんとも言えない印刷の匂いは名前の無い誰かと名前の無い私が邂逅した記憶。私のお守り。