#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

タイトル

「かけがえのないマグマ」

このタイトルを見てはっと我に帰った。私はこんなにも面白いのに、私の人生ってどうしてこんなにも味気ないのだろう。肯定と否定の間で揺れるぼんやりぼやけた自分へのアンサーかと思えた。私の血はいつから都合の良い感じのサラサラした常温のものになっていたのだろうか。私の血はかけがえのないものなのだろうか。ドロドロのかけがえのないマグマを温めていたかった、はずだった。

マウントでしか自己表現できない奴、女を人外に押し嵌めることで欲求を満たす奴、そもそも社会化されていない奴、自分が理解出来ないことを無かったことのように扱う奴、何も言えない自分…。本当は世の中には嫌なものに溢れている、はずだった。嫌なものに言及しない方が幸せだなんて言うご都合主義には屈しない、はずだった。型にはめられた好みよりも嫌なものこそが私の輪郭を作っていた、はずだった。世の中には自分は多様性に寛容だと自称する輩が増えた。お前らは何もわかっちゃいない。お前らが上から目線で寛容を押し付ける以前に多様性はお前すら包摂している。何も見えていない。そして私も。寛容だなんていう隠れ蓑に守られながら冷たい笑いで取り繕う私。多様性といういわくつきの呪文を脱構築しなければならないんだった。私は私の正義で嫌なものを断罪する態度でいなければならない、はずなんだ。

私一人で自分を肯定できるのだろうか。毎日毎時毎分毎秒、承認に関することで頭がいっぱいの私でも、承認の胡散臭さは知っている。私は私が評価すべき存在だ。今は無理でも、いずれ、自殺する直前でも良い。どれだけ努力したって関係ない。どれだけ他人から評価されたって関係ない。私は私だけの尺度で私を肯定する。本当は自分の存在を消すことでしか誰かと関わって来なかった。最大限の自己否定だと思う。なんとなく見知った文脈で誰かを褒めて、なんとなくで褒められる。そんなループを繰り返してきた。これはちょっと絶望に近いけれど、私を全力で否定できるのは私しかいない。そして私のかけがえのないマグマをあなたにも触れてほしい、それだけ、一瞬でいいから、いずれ。