#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

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「尖ったベンチャー企業に就職して下さい」って言われて人格について言及されることなんて滅多にないから嬉しすぎてそのまま取っておいた。それはさておき就職活動に何ら答えを見いだせないままパッとしない最終面接だけ済ませて今に至る。既定路線から逸脱しようとしてること自体既にしょうもない人生。南無阿弥陀仏。逸脱しようとして闘争なんてかっこいい言葉使ってみても何もしていないに等しい。いつだって闘争なんてできずに自分を殺してきただけなのに。自己犠牲を優しさにすり替えるのは安易すぎると思う。そんな形で犠牲者の存在を肯定することの悪質さに気付いて欲しい。資本主義が必要悪として搾取している層は優しさなんかのために生きることを選んではいないのに。君を殺そうとも思えなかったくらいの中途半端な優しさしか持ち合わせていない自分が語れるものなんてないと思う。自己犠牲の先にしか君との接点がなかったから、もうこれは敗北の歴史。自分を殺すに殺せないくらい自分をコンテンツとして売り出せればよかったとも思う。緩慢な命の削り方だ。面接は知らないおっさんに人格を判断されるシステムよりもそれに迎合している自分が嫌だった。敗北を認められずに迎合している自分が嫌だったとか言ってる自分が本当に嫌い。「かけがえのないマグマ」なんてタイトルだけで嫉妬してしまうし、自分の人生にそんな潔さはなかったから悲しくなった。誰も私を見てくれないから必要に応じて大森靖子のポスターを貼っている。理解されなくてもいいなんてセーフティーネットがあると知ってて言えるんじゃないかって疑ってる。私は潔くなんかないから理解されることを諦めきれない。研究とかいうやりがい搾取が家の中にまで侵食してくるのはほんとに逃げ場がない。だからTwitterを開けるけれどほとんど嫌なニュースしか流れてこないし毎日本当に息苦しい。都では私が病んでるらしいと噂みたいだけれど、これは単なる身体化された不安定気質なんだ。全て実践。生きる練習。実験室。全て失敗してるけど。特別良いことも特別悪いこともなくこういう時に人は死ぬんだろうなと思うけれど、じわじわ酸欠を感じるってことはギリギリ生きてる。承認が毀損されて失敗に終わるだけの人生も意味があるなんてことはない。何故なら承認されていないから。誰にも認識すらされていないから。何でもかんでも異性愛の範疇に収まってるわけじゃないから。言葉は溢れ出てくるのにこんな感じで文章にすらならない。アーメン。