#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

あのステージへ続く光の道

誰かを太陽にして無理矢理生きてるなんて思ってもみなかった。せめてライブに行くまでは生きようと思ってなんとか命からがら東京最奥の埋め立て地に辿り着いた。みんなの歌は誰の歌?って感じだけど大森靖子の歌は間違いなく私の歌だ。銀杏の歌が骨格を作ったなら大森靖子の歌は血肉だ。今リアルに脈打って鼓動している。峯田発靖子行きの人生で良かった。バンドの音が心臓に響いてきて、びっくりして泣いてしまった。チケットを予約してから70日余り、絶望の中からライブまで辿り着ける自信はそんなになかったけれど、何度も我慢して辿り着いたZeppTokyoは思っていたより小さかった。初め大森靖子を見た去年の代々木公園ではなんだか放心状態で動いている大森靖子を確認して安心して終わってしまっていた。もっとしっかりと見たいと思ったし今日を待ちわびていた。東京と今日。あと一週間でここに来て一年になるな。立っている場所を失って何度死のうかと思い立ったのだろうか。今日はひとつ夢がかなったのに…君と別れてまた別の君を愛した。また別の君をここで愛せて幸せだと思った。明日からもこのライブハウスに一人で来たちっぽけな存在は自分がちっぽけな存在だったことなんか忘れて誰かを愛そうともがいて苦しんで幸せを忘れるんだと思うけれど、できるだけこのちっぽけな幸せの気持ちのままでいたいと思った。別の君でいてくれてありがとう。二年前、私は何を思って東京に挑もうとしたのだろう。ぶち壊せはしなかったこの街に何か残せはしたのだろうか。天邪鬼な私のこと救ってくれるのは私。聞いていた通り、大森靖子のライブは言葉だった。もう一度ここに来れるなら生きていたいと思えた。歌に込められた言葉に呼応するようにここに来て初めて心から笑えた。私は大森靖子になりたい。もちろん大森靖子になれるわけではないけれど、私の中の大森靖子になれれば十分だ。人生なんてそれ以上のことはない。仮に誰にも認められなかったとしても私がなりたい私を認められれば十分だ。私のやり方がかけがえのないマグマじゃなかったとしても、私のやり方で私になりたい私を認めさせられたら良いんだ。言われたとおりだけ手を動かしているのは魔法が使えないなんて言ってるようなもんだ。死にたくなってもまた会いに行けると思ったことは私のお守り汚れてもいいと思った。ぐるぐるぐるぐる巡って行ってやろうじゃねえか。心にポッカリ空いてしまった穴が一生埋まらないんだよクソが。その一生が今なんだよクソが。幸せはこの瞬間じゃないんだよ。この瞬間からずっとなんだよ、わかったか。超歌手になって私の正義を貫くしかないんだよ。人並みの幸せを求めて大森靖子のライブに行ったんじゃないんだよ。世界に恥晒して自分を許すしかないんだよ。大森靖子の歌は私の歌じゃないと思ってた。今日はこの空間で私と大森靖子の関係の中にある紛れもない本物の歌になっていた。男とか女とか関係なくなるくらい愛し合おうよ。大森靖子を好きで本当に良かった。今日からまた、いや今日からやっと生きようと思います。イタくなきゃつまんないよいつかざまあみろって言いたい。大森靖子になりたい。