#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

ペダリング

どこかに向かって走ってないと空っぽになる。現象として私はどこかに向かうという動作をする。目的もわからないままどこかへ向かう。座標を移動して私の影を絶えずその場所から消し去って気を紛らわせる。それでもどこにも向かわずにいる空っぽの私を無いことにすることはできない。

帰るところもないのに目的地なんて決められない。

色んなものを見て、色んなことを知って、世界の解像度は格段に上がってしまった。君が教えてくれた暖かい世界も君が憎んだ社会も。並行して感度も上がってしまった。かすり傷でも自分を殺せる。いや、自分で処理すべきなのにまた人のせいにしてる。処理できないなら知らなかった世界線の私を恨む資格もない。

何かを知るたびに自分の深層心理に触れてしまって、その気付きが外傷になる。愛しい被虐心。自分に気づけば気づくほど誰にも近寄ってほしくない自分が象られてゆく。優越、加虐性、内向性。どろどろした膿。二律背反が美しいなんて傲慢。グロテスクな加虐性をかろうじて自分方向に制御しているだけ。たがが外れたら誰でも傷つけるんだと思う。今までもそうだった。

罪の分だけは生きているけれど、いつになっても返済できない。今まで何が出来たんだろう。対してどうして今も何もかもを傷つけているんだろう。今もずっと罪の上塗りをしてる。何かをした気になっても、自己満足を他人に依存するんだろう。巻き込まないで。かっこつけて生きたふりして自分のためだけ。

弱いことも自覚できないほど弱い私は、何かした気になるために、何か出来ると思いたいがために、因果を求めてしまう。どうしょうもなくなる前に後付けで理由を探す 。理由に入り込めるなら誰の歌でも良かったんだと思う。必死で作った出来合いの理由で自分を誤魔化して自分を守る。

今の不幸に後から理由を付けて、贖うことで生を得ようと懺悔する。

脚を止めて教会に逃げ込みたくなるけれど、寒くて脚がどうしても止まらなかった。理由もなく脚を動かせる私はこの筋では間違いなく本物だと思うけれど、それがどうしたっていうんだ。