#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

幸せってなんだっけ?

幸せについて考える。決して幸せではない渦の中で。 個人的なことだからわからない。誰かが論じてくれるわけでも誰かが責任を取ってくれるわけでもないから。 だから個人的なことほどわからない。

人に期待をかけることはその人を呪うこと。呪われて呪い返して生きてきたのだろうと思う。ここで終わりにしたい。なぜなら幸せを得たいから。今度は私が、他の誰でもなく私が、幸せを得る番だと思う。そうだったらいいんだけれど、それが何なのかわからないから行く道も来る道もごちゃごちゃ曲がりくねって方角も行く宛もわからなくて、さまよって疲れ果てて、しゃがみこんでじっとしてもいられないから疲れていないフリをしてさまよって誰かに見てほしくて誰かに手を繋いでほしくて誰かの目を見てそれで誰かに見返してほしくて、それはちょっと照れるけれど、幸せになるずっと手前にあると思うから。そうだったらいいな。そうじゃなかったら嫌だな。

好きな人と一緒に居たいとか、好きな人と笑い合っていたいとか、自分が見過ごしてきた誰かの幸せをなぞるのはとっても難しいと思ってた。それは今も変わらないけれど、少しは変わりたいとは思うけど。

幸せが何なのかわからずに過ごす時間に投げ出されて、いつからなんだろうと考えてもそんなことはつまらないことなんだよ。

誰かの幸せにぶら下がって誰かを幸せにするとは思えない。物質じゃないから、お金で買えないから、簡単に消費できるものじゃないから。私が間違っている。すべてを間違っている。

セックスがしたいとか、何かに貢献したいとか、どうだっていいやって諦めて、必要とされないと嘆くことがすでに必要がない。私って何だっけ。

好きな人が彼氏とラブホに行くたびにくれるライターが溜まっていく。使い捨ての悲しみ。使い捨ての……

素っ気ない返事しかしなくても、若い女とセックスできたらそれでいいんでしょ?彼氏だかセフレにあって私にないものを自分で見つけてしまう前に消えたかった。こう言って毒を吐き出して吐き出した毒をもう一度飲み込んで消えたかった。そんなものわかりきっているのに。

自分の幸せなんてどうでもよくなるくらい呪いたいことだってあるに決まってるし、仕方ないから自分は不幸になって誰かを呪う。歩の悪いギャンブルみたいなもので、自分に返ってきておしまいになることばかりだけれど。

だれでもいいなら私でいいじゃん、ってつまんないこと言っちゃったな。って言ってすらないのだけれど。

ここは幸せの裏側の世界。誰にも見つけられずに地下深くで眠る私の世界。陰鬱な暗闇。誰かが幸せになるごとに使い捨てのライターが落ちてくる。蜘蛛がカンダタに糸を垂らしたみたいに、銀色に輝いた絶望が降ってくる。お釈迦様は中指を立ててる。糸を切らしたのは私自身の不始末だって嘲るように。

私では私を幸せにしないのだろう。将来に対する不安、現在の絶望、過去の淀み。私は幸せではないから幸せを夢想するけれど、幸せが何なのかわからないから、瞳を閉じてみても夢を描いてみても鏡みたいに誰かの顔を覗き込んでみても、真っ暗で何も見えなくて何も聞こえなくて何も…誰も……

頭の中の恐ろしいほどの部分を陰鬱が占めているから、その他があんまりなくって、星占いの結果が本当の自分だって言い聞かせても生身の自分が嘘もつかずにここにいる事実に呼吸困難になっている。幸せについて考えるだけのスペースもない。

嫌われるってことは少しだけ幸せだったってことのかもしれないけれどね。今は一欠片の砂も手元にはないんだよね。

1つ幸せになって4つ不幸になる呪文

笑ってる怪しい人と笑ってない怪しい人

高速道路を降りて文字が読めなくなった

すれ違う人はみな宇宙から来た人で

テレパシーが通じなかった

もしかすると通じていたのかもしれないけれど

感じる側の問題だと思った

川を渡って峠を越えなければいけないし

ほしいものから諦めていった

こんなことしている時間だけ

こんなことしている時間だけを生きている

ゴミ箱が溜まっていく

パスポートが沈んでいく

他の誰にも渡せない自分の核は微塵になって

ああ、遠くで煌めくお星さまみたいで

ずっとずっと遠くで煌めくお星さまみたいに

明日までには届かない光なんだろうな

歩いても歩いても着かない目的地みたいな

それでもどうしても口ずさまなければいけない呪文がある

呪いがある

苦しみがある

ほしいものがある

 

知るかバカうどん

ロロロ

星の影が彼方に飛ばされ光が闇に満ちてゆく

壊れたもの同士で似ているねなんて近づいてみたら同じ極同士の磁石の先だった

知っていることはあるけれど理解していることはなにもない

勝手に都合よく当てはめて断じてもらうのは構わないけれど理解しているなんて思わないで

恨んだことも愛したこともないから恨まれたことも愛されたこともないように

鏡には白い壁だけが写っている

私を視線が通り抜けてゆく

誰かが私を通り抜けてゆく

つまらなくなってゆく

世界とともに私の方が

ぼやけた世界

継ぎ接ぎの世界

曲がって曲がってぐちゃぐちゃな形になって

哀しい目をして未完成こそ完成って言ってる

つまんねつまんね

救われない線上で生きてるポーズ

行くも返すも捨てられるって

ごめんねごめんねごめんねごめんねごめんね

そしてボクは死神

それしかないんだよ

自分が他者に対して何かができるという傲慢な思い込み、倒錯。男性性に刻印されたヒロイズムの精神。問題はその先行性。他者の視点を度外視した妄想と先走りの押し付け。では何ができるのか。何もできない。能動的には。そうではなくて自己も他者もアイデンティティの提示が先行して然るべき。なぜできないのか。アイデンティティの内なる部分、影の部分、無意識、おぞましき人間性を認められないから、露見させる恐怖による。しかし全員が持っているものだということを忘れてはいけない。誰しもがこれと向き合いながら他者と関係しているはずである。承認論は卒業してこれと向き合わねばならない。当然だが、承認論は加害者意識と被害者意識の倒錯、甘えであることに立ち返って、自己を正面から見つめ直さねばならない。嫌われて理解してそれでも嫌われてもそれは自己と、自己の鏡たる他者と、他者そのものと、向き合った結果ならば関係せずに承認論をこねくり回すよりも幾分かましだ。おぞましくとも。そして嫌われないようにアイデンティティに向き合うことを避けて行動するよりも、嫌われたとしてもその後の行動こそが一番大切になる時もある。そういうことだ。例えば親密圏の誤認をしたとしても。

 

 

めちゃくちゃ死にそうな時ってあるやんか

そういうとき簡単にSNSとかで死にたいって書くのもなんか生なましいかなとか思って躊躇するけどそんなん誰も気にしてへんやんか。遺書でも書こうかと思うけど黒歴史みたいなの増やすだけやし今ある形のあるもんはできるだけ燃やしたほうが正解やと思うんよ。インターネットだけで繋がってる人に死んだって知らせたいのはわがままだよね知ってるわ。勢い余って死ぬくらいで生きていける人は死んでいくのに私ったら何してるんやろ。努力するなんか当たり前のことやんか、努力が実を結ぶかが大切なのにそこには一切繋がらんねんやんか。人は生まれながらにしてお金か愛か、どっちかには恵まれるけどどっちかには恵まれへんらしいわ。極端に愛から遠いしどこでやり直しても一緒だって思うんよな。望んでない方ばっかりなんやな。ないものねだりしてるだけなんかな。これまでの人生で何度条件変えて環境変えてシミュレーションしてもここに収束してしまう。器用に色々こなしてもこなすだけ一人で全部できてしまうからこそますます一人になってしまう。何かを覚えるほど愛からは遠ざかって行くような気がするんよね。自分より暗い人もほとんど見かけないしなんで生きてるんだろ。いや、お金に生かされてるだけやんか。愛もないのに。ほんまやん。死にきれないだけやんか。ほんまにわからんねん。何もかもがさ。

鎖場に手折られば西の彼方

ホロスコープの裏側から見えるお前の傷口。最悪と最高じゃない範囲でそれなりの選択肢だけ選んでつまんなくなった人生今日に至れば外の世界と断絶されたアレが始まってクラブで踊り明かした黄色い鳥と肉片の詰まった袋を殺して見事に報われなかった人見知りの奥底に消えるゆりかごと火鉢の模造。砂漠はこれ以上苦しくはなかったから、ひとりでにつまぶく橋を一重に飛ばしてスキップしたら君の家の裏路地デ鎖かけた洗濯機に飛び込んで、今日はそれなりに春の感じがしないのは私の爪が少しだけ伸びただけ。ああ、意味なんてないのに。苦しみのハードルを下げて不幸を無視して、その裏側を見つめてくたばっていたら、毒。毒といえばリンゴか蛇かキノコかフグか、自律神経を取り乱しては回復して、それでなんとかやっている隣人はとても素晴らしいけれどチャントも唄えずカメラも向けられずのらりくらりと受験勉強に邁進して息を飲んで虚空を見つめてイチニノサンで手首を詰めて、お前が始まってお前が終わって私が死んで生まれ変わって何になった、化け物さそんなことより明日の夕刊秘密の暴露で配属決定と納得のいかない卜占は吉か凶かで孤独になって生きて帰ってきてねなんて、つまんね、飲んで倒れて人間失格そんな話もあったっけ、俺はいいけどお釈迦様が何ていうかな。