#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

回生充電

先週あたりは本当に頭がどうかしていて、夢に人生の中の登場人物を次々登場させては勝手な解釈をして自己分析を決め込んでいた。それでもこの世界はどこか夢と連続だと思わないとやってられない。夢を見ることだけでも一つの終着点だと思う。すべてが満たされている割には現実には何もないみたいだ。私は何者にもなれない。私が何者か、自覚した時点でその時はもう私ではないというだけなのだけれど。考えることをやめただけなのにこの社会とうまく折り合いをつけていると自慢気に語る仕草が許せなかった。見たくないものは必死で見ないくせに。全部建前なんだから極端を演じてる。どうせ力のない言葉なんだから自分にだけ反響すればいいと思ってる。でも知らないふりするお前は嫌い。いつもマウンティングごっこで回ってる世界。笑いの構造まで説明させる世界に辟易してる。自覚しながらも嫌嫌歪みに慣化させられてるのをみて虚しくなっただけだから本当は私自身の問題として閉じ込めていたいと思う。私一人コントロールしたいという気概もないくせに小賢しいと思う。