#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

冒険冒険冒険

冒険とは行為とその意味付けによって成立するものだと思う。個人でも特定の集団でも人類全体であっても、その中にある好奇心に従って未知のものを探求する精神こそが冒険を駆り立てる。しかしどんな行為でも意味付けをされないことには冒険足りえないのではないだろうか。

現代の冒険家は世界中でまだ人類が未踏の地はないから社会から逸脱するような発想を冒険として定義しているというようなことをよく言うが、普遍的に探求された価値の拠り所が地理的な場所ではなく思想的な場所に変化したのだと思う。

つまり私が一番冒険というものに価値を見出しているのはまさにこれであって、社会や集団や自分自身からの逸脱の可能性を探ることにある。冒険が冒険としてのアイデンティティを持ち、革新的なものであればあるほど必ず市民権を得られないのはこの逸脱精神のためである。道端のキノコを食すことが冒険になるのはキノコというものが毒キノコである可能性があると認知されているからであって、その認知とのズレが冒険に付加される意味そのものである。そして冒険の成果は知らないところで誰かが普遍的な価値として還元しているようなものだ。もっとも、全てのカウンターカルチャーがカルチャーに昇格するとも限らない訳ではあるが。

予め意図を表明するかはさておき(後付けでも問題ないとも思う)、ズレを認識しないままなされる意味付けのない行為は行為の事実にしか価値のないもののように思える。好奇心を認識してこそ本気の好奇心遊戯だと思うのだけれど。

自分が好奇心に支配されてそれ以上の何者でもなくなる瞬間が一番好き。