#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

足首のあたり

なんとか掴んだ最後の枝はみしみしと音を立てて、今にも私の身体を振り払おうとしている。落下していくのは時間の問題だ。しかし、突風が吹きでもすればすっきりと落ちられるというのに、苦しい均衡状態は続いている。いつだって落下する覚悟はできていると心の中で言ってみても、自ら手を離す勇気もないことが明らかになるだけだった。つい先程まで(とはいえどのくらいの時間が経っていたのだろうか)、この樹のちょうど顔のあたりに腰掛けていたはずなのに、今は奈落に一番近い高度にいて、腕だけが重力と対峙している。心はもう奈落の真ん中なのに。枝葉が擦れる音がする。樹が唸る。私は少し揺れる。それでもやはり枝は折れてはくれなくて、私の細身な身体を恨めばいいのか、手を離せない心を恨めばいいのかわからないけれど、わからないから事実が変わらないのか、事実が変わらないからわからないのか、こうやって堂々巡りの思考を重ねている間だけは自分の弱さを忘れられるのを知っている。できるだけ自分のせいじゃないふりをして(他の誰が見ていて、誰が咎める訳でもないのに)少し揺すってみると感触未満の音が鳴り響いて、痛いって言ってるように聞こえた。この樹との関係性だけが私の生きている証拠なんだと思った。私のどこかではまだ生きたいって思ってるんだろう。そうか、もう一度見上げたその先を目指してもいいのかもしれない。今まで脱力していた方の手を伸ばせばあと少しで他の枝に届きそうだ。掴んでいた枝を握りしめて身体全体を引き上げて、別の枝には少し掠った感覚が走る。その瞬間、掴んでいた枝は綺麗に裂けて、私の身体は宙へ投げ出された。あと少しだったのに。いや、あと少しではなかったのだろう。枝が折れた音は痛いって言ってたな。ごめんな。