#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

ビスケット

私があなたを好きな理由

100個くらい正座してちゃんと言えるから

YUKIはそうらしい。

人は人のどういうところを好きになるのか、ちっとも見当がつかない。そもそもこの問い自体が抽象的すぎて全く意味をなしていない。主語の人も目的語の人も好きも一般化されすぎている。ここで言う人の裏側には個人の存在がある訳だから、もちろん、一般化できるような答えは存在しない。1人に対して100個は中々出て来ないけれど、1個くらいはあるだろうと思って色んな人を思い浮かべて書き出してみる。

気遣いができる、一緒に考えてくれる、人のために行動ができる、はっきり物を言う、生き方がかっこいい、努力家、感情の出し方が上手い、抱擁力がある、ノリがいい…

とか思いつくけれど、これらは思い浮かべた人から抽出したイメージを言葉として抽象概念に再配置している。つまり、もっと自然な、その人がその人だから好きという事は言及されていないことに気づく。たとえ100個言えたところでその人が再構成できる訳ではない。言葉として一般化した時点でもういくらでも他の人でも代替可能なものになってしまうような気持ちになる。好きは関係性の中で構築されるものだ。

人が人を好きになる理由はその瞬間にしか存在していない。理解されたとき、目が合ったとき、笑った横顔、自分を肯定されたとき…というような、その瞬間に起こる感情が好きに接続される。規範的な「善」の要素と瞬間的な感情は全くの別物なんだと思う。