#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

わたしみ

あってないような信仰というか自分の中で決めていることはシンプルだけれど好きな人に幸せになってもらうことだ。この祈りをするために魔女になった。一点の曇もなく言うことができる。

自分の中にある本当の信仰は面白さに対するものや特定の人物との関係性に対するものだったりするけれど、私の中に統合された人格によってこれらは混ざり合う。面白さと関係性は相互に絡み合っている。例えば面白さは絶対的に担保されているものではなく、関係性によって相対的に絶えず構築されているものだ。

私にとって面白さとはこういうものだ。私は面白さという抽象的な指標をもって他人との関係性を構築する。二者間の関係性はどこまで突き詰めても認識上はメタな関係性には到達しえないから、ここでの面白さは関係性に対するひたむきさと言ってもよい。関係性を結ぶ上で、まさになんの曇りもなくひたむきであればあるほどそれは面白いものであると言ってよい。ただしひたむきさは脆さや傷つきやすさでもある。剥き身の状態だからである。

関係性が変容する契機に差し掛かる時、面白さは爆発的に加速することがある。私はそういう何よりも得難く尊いとてつもない面白さを関係性の中で見出す瞬間に立ち会いたいと思うのである。今ここで面白さと表現しているもので好きな人に幸せをもたらせればいいのになと思う。