#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

名前も知らない

白い部屋には名前も知らない彼女と私の二人だけ。

名前も知らない彼女の言葉は本当かはわからないけれど、私に向けられた瞳だけは本当だと思った。けれど私にとっては何が本当で何が嘘かなんて心底どうでも良くて、話を聞いている間だけ心が落ち着いているのがわかった。好きなものや悲しみ、誰かを好きになったこと、これまでの人生のことなんかを全部喋っているようだった。少ない言葉数だけれど丁寧で時には感情的になりながらも全てを語っているようだった。そしてしっかりと私の目を見ていた。名前も知らない彼女の話し方は鏡に写った私かと思うくらい私に似ていた。途切れ途切れのエピソードをいくつか話し終えて一息ついた彼女がじっとこちらを見る。

ここがどこで、どうして私と彼女が二人きりでこの部屋にいるのかすら思い出せない。でも彼女の話を聞けていることに比べたらそんなのは些細なことだ。そんな些細な思考は彼女の言葉一つ一つですぐにかき消された。

彼女の瞳に対して私も瞳で返事をした。この瞬間に彼女の名前以外の全部はわかったし、全部はわからないと思った。共感なんて求めていないことは知っていたし、私がそれを知っていることも彼女も知っていた。彼女がどこの誰を辿って私に会いに来たのかわからないけれど、全てシナリオ通りに事が進んでいるような感覚。彼女のことは全部はわからない代わりに、彼女が私に抱く感情は全部わかった。彼女は最初から私のことが好きで、だから全部を話したし、全部は話さなかった。だから話の内容も本当でも嘘でもどちらでも良かった。

私には人を好きになる感情がわからなかったけれど、彼女の名前以外のことは全部わかっていたから、人を好きになるということがどういうことなのかを今初めて知ったようだ。私が瞳でした返事は彼女の望むものではなかったのだと思う。それが彼女の本当に望むものだったのかもしれないのだけれど。

目を覚ますと知っている天井が見えた。

ここはさっきとは反対の世界だから、さっき教えられた好きという感情はもう忘れてしまっていて、代わりに反対の好きじゃないってことがどういうことかを初めて知った。ここはさっきとは反対の世界だから、彼女は私で私は彼女だったんだと、いつもの部屋を見ながら気がついた。