#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

naked sense

「連絡します」って言われてたのを無垢に待ち続けていたり、アプリで「何でも話せる友達が欲しい」という投稿に返信したけどすぐに返信が止まったり、別に目につかなくても良い塵のようなものだけ頭に詰め込んでリストカットしてる夢を見てる。とりあえず死にたい死にたい言っとけば逆張りオタクの気質のおかげで急に死なずに済むと思ってる。そんなからくりを説明して自意識に溶け込ませることでさらに逆になんとかリアリティを演出している。ギリギリの緊張感の中でしか生きられない。それも一人でしか生きられない。人に優しくしましょうという啓発だけ毎日何百行も読んでいるけど肝心の人には出会わないし家のブレーカーは湯沸かしポットとIHヒーターだけで余裕で落ちる。部屋の空隙が心の空隙みたいで無駄に嵩張る椅子を買った。生産に意味を見いだせなくなったのは生産という行動に自己を投影できないと見切ったからだ。投影されるような自己がないのかもしれないし、投影された自己が認識されないことへの絶望なのかもしれない。ギリギリ消費行動でしか尊厳を得られていない。おはよう。速度だけが大切な命のパラメータだと思う。生きていたというより調子に乗っていただけ。斜め上から見ている自分だけが自分。真面目すぎる失踪者じゃないから不真面目に勤労させられるだけの人生ほんと美しい。もっと闊達に言葉を紡いでゆければあと2cmくらい希望があったと思う。2cmじゃどうにもならない溝があるのもわかってる。全員早く私のことは切断してほしい。何をしたわけでもない。そう、何をしたわけでもないから。点滴と注射のイメージしか湧いてこないけど、それは何かの力学が作用して無駄に生かされてる構図でしかないよな。OK,googleいいからはやく殺して。これでもまだ文字を打てているだけマシな感じ。真っ青としか表現しきれない空の下で唇を噛んで思い出せない過去を捏造してる。これでも状態がいい方なんだからもう先もあんまりないかもしれない。でもどんな状態であってもリスクなんてないほうが不自然だから大体一緒。原因もわからなければ制御もできない。社会的な文脈しかみていないから就活のことで悩んでるとか思われてる。大方の社会規範だけ注視して私のことは見ていないって言ってるようなもんでしょそれ。でもありがとう。今の状況が一気に消えれる訳じゃないって体現している。ゆるやかに何にも興味を失っていくのがわかる。人も物も本当に好きだったからすごく実感する。何かを書いている時だけ少し楽になる。夢でも人と話すと楽になる。私の世界はこんなにも狭いのかって感じる。狭くなったんだと思う。とてもとても。みんな寝静まったような時間なら端から期待はしなくていいから安心できる。不特定な搾取したい人たちにとって需要がないのはいいんだけれど、それが乗車権という文化もあるらしい。わからないけどどうでもいい。色々とどうでもいい。自分にしか被害が及ばないならどうでいい。明日まで生きられるからその後のことはまだ考えなくていい。何より辛い今しか大事じゃない。でもやっぱり誰かの関係性の中で怒りに震えられるのは羨ましい。明日には忘れてそうな感覚。叫びたいときだけそばにいて。恥だけ遺そうと思う。本当に死ねるのは私が死んだときに誰の心にも留まっていなくても許せると思った時なんだろうね。