#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

【没日記】

受け入れることを自己を消すことと勘違いしていたんじゃないか。もしくは優しさが自己を消すことと。自分を消すことは結局都合の良い人形になっただけでそれ以上でもそれ以下でもなかった。認識においては空気のままだった。自分が固執していたのは相手を一方的に尊重すればいいという短絡的な自動化。自律性を持った人ではなかった。心理的な欲求を満たす趣味、嗜好、思考体系の重なりからの友情、時間によって蓄積された関係性。これらが自分のもとになければ、見返りが見込めないなら維持できなくなる。これらの相互性の逐次確認。思考、感情の発露を消すことと自己選択、意思を消すこととを混同していた。いや、自己選択の消失が思考、感情の発露の減退を導いた。

相手の意思に抗することが自己の復権になる。自我が否定されることへの恐怖に対する抵抗。恐怖の根源は相手の心理が未知であるため。心理を見ることへの恐怖。相手への眼差しを向けていない状態で自分は未知のものに不安を抱いてとりあえず恐怖に向き合わずに対症療法的な方法で黙殺する。

自我を保ちつつ相手を真に尊重する方法について。聞く、見るということ。それには視点と対象との相対関係が規定されている空間であることからはじめられる。次に考えるということ。相手の思考を先回りして読み取るのではなく相手の思考に寄り添うこと。コントロールしようとする次元の不一致は恐怖から表出される疎外から生じる。エゴにも恐怖にも向き合う素直な気持ち。私の無能な神様とあなたの無能な神様。