#生きる練習

日常系ゆるふわ思い付きブログ

4次元テトリス

私はいつ完成するのかな。とりあえずみたいな自分で誤魔化してる。完成するという想定は妥当だろうか。とにかく完成しない。完成したら終わってしまうからなのだろうか。何故完成形を見せつけてくるのか。いや誰でも未完成なのはわかってるけど。隣の芝はいつも青いし自分がなりたいものに今の自分は単純に平行移動すればなれると思い込んではいるけれどそんな確証はどこにもないしむしろどうしたってたどり着けないような溝ばかりが認識されてしまう。反動で本当の自分を見つけようとするけど物理で認識できるような理想しか知らないから相対化しか出来ない凡庸な脳みそではマイナスの値しか検知されなくて絶望するけどもはやそうやって知った痛みすら痛かったことも忘れて平常心を保ってしまう。生きられる範囲を逆算してせめて謙虚でさえあれば楽に生きられるのかもしれないのに。いつも理想を他人にも押し付けてしまうのは信仰してる正義が唯一神的な排他性を持っていて自分にも他人にも選択肢を与えてくれないからかな。優しく生きていたいという理想化された自分のエゴを当人の文脈とは無関係に無理やり刻印してしまう始末。何もしていない時間があまりにも膨大でその分ありもしない理想を想像するしか出来ないから生きているだけでずっとダメージを負い続ける。まったりした時間軸じゃなくていっそ見える形で終わらせて欲しいなんてのもまた自分勝手な我儘なんだろう。時間軸上にいるただそれだけが敗因なんだと思う。過去も未来もなく今だけが完成形として切り取られていれば良かったのに。未完成なまま未完成の美学を追求できるほど割り切れない性格もまた慚愧に堪えないのだけれど。このままなかったことになんてなれればどれだけ楽なんだろう。美しくなんかないから未完成のまま終わらせて。それが叶うならば。