自他
クィア(形)…奇妙な、不思議な
私はどうも今までこの言葉を理解しようとすることを避けていたようだ。これは形容詞であってカテゴリーを示すものではない。
一見ネガティブな表象を意味転回させて用いてきた歴史の上に立っている。
私自身すらも。
クィアとは、あらゆる事物を分節化するカテゴリーではなくて、あらゆる事物の境界が融解した状態なのだ。そしてこれはセクシュアリティの範疇でありセクシュアリティの範疇をも解体するものであるということだ。
なぜ私はこのクィアという言葉の意味から逃げていたのだろうか。
まず私はあなたの眼差しに恐怖していたのではないだろうか。その今にも私を飲み込まんとする瞳に。あなたはクィアだ。私とあなたの境界を消し去ろうとするのだから。そして私は愚かなことに、私を守ることしかできなかった。それは皮膚の内側に棲む私という個体であり、私自身が積極的に交信し相互補完的に私を形成しているかのように倒錯していた思考であり文化であり社会でもある。悲しくも、自己と他者の境界を曖昧にする営みを拒絶することで私の世界は私の内側だけで完結していた。そのパフォーマディヴなあなたの全てを拒絶していた。だから快楽を自己再生産することしかできなかったのだと思う。
あなたは私で、私はあなたで、何者でもない、故に奇妙な、ひとつのものに…なれればよかったのに。私のセクシュアリティをそうやって解体してゆく過程であなたのセクシュアリティもスティグマも解体できたら良かったのに。こんな何でもない後悔すら気づくのが怖かったなんて信じられないかもしれないけれど、1枚1枚剥がしても剥がしても私が私であることを捨てられる覚悟がないと、やっぱりあなたに会わせる顔がない。
あの時私はあなたの眼差しに答えられずに咄嗟に遠くを見つめてしまったのだ。