選ぶこと。 選ばれること。 人の子よ、幸福の意味を知るが良い。
就活とかいう泥仕合が始まったっぽい。
正確にはもう既に1社落ちたので就活自体はとっくに始まってたけど、落ちたからこそこれで“就活”が始まった。
ということで就活サイトに登録することにした。プロフィール欄を埋めればAmazonギフトカードが貰えるらしいので既に出したESをそのままぶち込んで、そしたら企業からスカウトというものが来た。スカウトと言っても、採用されたり即どこかに呼ばれたりする訳ではなく初めはメールが来るだけなのだが…
……既視感。
これは初夏頃から没頭していたマッチングアプリじゃないか。就活とか堅い言い方を消せば企業とのマッチングなんだから同じ構造なのは当然と言えば当然なんだけど。
周りの就活生がどうなのかは知らないが、プロフィール欄を埋めてからはそこそこスカウトが来るようだ。東大生ということと一応まともに書いたプロフィールのお陰かはわからないが。
……なるほど。
マッチングアプリは男女比の非対称な構造上、いいねを貰える数は圧倒的に女性が多い。ちなみに女性は無料でできたりもする。要するに概して男性側から女性側にいいねを送って判断してもらうという構造である。
就活に当てはめてみると企業側が送ってくるいいねをこちらが判断して返事するかどうか決めるという構造だ。
そしてマッチングアプリではお互いのいいねが成立したとしても半分もメッセージの返事が帰ってこないくらいである。いいねを返すかの壁、いいね返すくらいはしてもいいけど返事をするかの壁が出現するということだ。
ここで選択の余地が顕在化する。
現に私もスカウトに返事している訳ではない。明らかに選択をしている。
これは夏から秋頃にかけていいねと返事が来ないことに悩んだ苦痛の日々のそのまま裏側だなあと。
選ぶ側と選ばれる側の表と裏。
無垢な私から来たいいねやらメッセージを私自身が完全に無視している。
…選ぶ側の思考について考えてみる。
ここで就活とマッチングアプリの写像を対応させておこうと思う。
年収=年収
ネームバリュー(業界1位など)=外見(身長や清潔感含め表象されるもの全てだから!)
社風(風通しとか社員の性格とか)=性格
専門分野=趣味
くらいの対応関係でどうだろうか。
選ばれる側としてのマッチングアプリしているときの心情を原文ママ(とは?)で記そう。えいっ、
- 外見には自信がないので性格を見て欲しい。
- 趣味が合う人を探しています。
- 話せばわかる。(←性格は良い方だという謎の自信!)
- 性格が合う人を探しています。
- 女性がどこで判断してるかわからん。
- 趣味会う人いないはずはないんだけどそこは見てない?外見か?年収か?にゃー🐈
- もうむりぽよ😢
- 知るかバカうどん
思い出して泣きました。
では、選ぶ側の就活生としての心情をそのまま示そう。もちろん個人差はあると思うが。
- 年収は見る。
- 専門分野からは大きく外れたくないな。
- 知ってる企業の安心感はある。
- 尖ってるベンチャーとは(私の人物像から)言うがよくわからないところばっかだ。
- 風通し?が良いに越したことはない。
- 面倒さしか勝たん😂
こんなもんだろうと思う。私の本心で。
というわけで表と裏を比較してみる。
どちらも弱みを隠しながら我儘を押し通そうという戦略に変わりはない。
嫌なところだけ抽出される自己分析だ。
読者にも語りかけているつもりだが。🐈
では何故私はスカウトを貰った企業に返事をしないのか。
上記の就活生の心情に示した通りである。
年収が低い、専門分野と違う、業種地味すぎない?…などである。
個人的な優先順位としては分野(やりたいこと)と年収の比重を大きく見ているつもり。
年収が低い、趣味が合わない…となる。
つまり私はマッチングアプリでもしも選ぶ側になったら年収と趣味を重要視するという診断結果となった。
では選ぶ側になってマッチングアプリで選ばれる側の心情(私)を批評してみよう。
- 外見には自信がないので性格を見て欲しい。⇒性格は見ていません。
- 趣味が合う人を探しています。⇒わかる。
- 話せばわかる。(←性格は良い方だという謎の自信!)⇒だから性格は見てない。
- 性格が合う人を探しています。⇒だから…
- 女性がどこで判断してるかわからん。⇒もしも自分が女性だったらこんなもんですわ。
- 趣味会う人いないはずはないんだけどそこは見てない?外見か?年収か?にゃー🐈⇒年収だが?
- もうむりぽよ😢⇒知るかバカうどん
- 知るかバカうどん⇒ボコボコりんっ!
自傷行為ふわぁ〜〜。│❌│
まずメッセージを返すかという初期のフェーズであることには留意しておかなければならない。
まさに足切り。
つまり私が散々強調したがっていた性格の項目など所詮後付けなのだ。
優しい人はモテるだろうが優しいモテる人がモテるにすぎない。足切り後のおまけ項目は減点法。
現に社員の雰囲気など無視したかったら無視できると思っている。
ここでポイントは私が東大生として選り取りみどり選べるという確信を特に持ってやっていないというところである。おそらくマッチングアプリにしても就活生としても平均と遠くないところに居るんじゃないかとは本当に思う。やり方は違うかもしれないが(全て正直な申告だが、ネームバリューや外見に関しては私は見ていないところだったりしたので)。
女性(選ぶ側)が特別選び放題という確信があるわけではなくともこのくらいの判断基準に落ち着いているのである。
選択という行為は、主体として行っているように見えても社会的規範によって平均値を取るように身体化された「好み」に従順なのではないかと思う。
一方で選択されるという行為は(受動的だが)、個人として自己が平均から逸脱していると仮定してその弱みを覆い隠して強みだけを強調する。
ここに明らかな齟齬がある。
(私1人だけのサンプルから帰納的に解釈しているが実際どうなんだろうか?)
もちろん「好み」に合致していれば齟齬は生まれない。
残念だが無意識に「好み」は揺るがないし、自分の弱みも強みも覆らないだろう。
現に救済措置などない。
だから正直、マッチングアプリをやっている時は選ぶ側の心理から逃げていたということには改めて気が付いた。
『僕はどこにもはまらないいびつな形のテトリスなんだ』
は元より私自身が私自身にはまってないのである。
いびつなのはその隙間である。
続く…