わざとらしく知らないふりして照れて知ってるってことを知らせてくれるときの表情に殺されたい。
こうして無機質な建物の間でビル風に揺られているだけだと方向感覚が希薄になってゆく。
もう道路は東西南北に整然となどしていない。秩序なんてもうない。道なりに辿るだけから絶対的な方向感覚がなくなる。
自分の意識に自覚的になれるかな。
意識はどこに向かっているの?
受動的に忙殺されてなんとかやりくりしては充足感に満たされたふり。
何が私を満たしてくれるの?目的は何なの?
ただ幸せになりたい。。
幸せってなんだろうね。
ぼやけた焦点に真っ直ぐは向かえないから、少しでも近付きたいから、少しくらいは知っておきたいけれど。
知識と知恵と経験が増えて、豊かになってゆくほど幸せに追いつけなくなる。
豊かになってゆくほど幸せを妄想出来てしまうから。あまりの甘美さにそれが非現実の桜だとは気付かずに。
否定できない欲のせいで妄想が豊かさを補完してラチェット機構に組み込まれるから、幸せの基準だけが上がって行ってしまう。自分は今もここに居るのに。
幸せに置いていかれないようにするには全てをまっさらに忘れるしかないのかな。
妄想に突き放されるのは痛みを伴うのに、幸せを求めて幸せを忘れてしまうとしても痛みを伴うんだろうね。苦しいね。逃げられないね。
結局追いついてもまた妄想に侵されて先に行くんでしょ。幸せって妄想の中にしかないのかな。
幸せになれない。。
意識はどこに向かえばいいのかな。
反語だって言っていたい。ずっと、今だけは。